人生スローカーブ(*´∀`*)ノ

水のように生きていたいものです。
フィクション12

まさる先生!来年期待していますよ!!
学校を変えてくださいね!
来年から人がごそっと変わりますからよろしくお願いしますね。
後は任せたぞ。

そんな言葉が蝿のようにうるさい。
そもそも自分たちが長くいてなんにも変えてこなかったのに何故新参者の自分がそんな役割になるのか。
前々から思っているならば自分たちで変えてくれば良かったじゃないか。
そんなことを1人思う。

まさるはもうこの職場は長くないと思っている。
来たばかりではあるが、
まさる1人ではどうしようもない。
役職も権力も地盤もない中でどうしろというのだ。
そりゃ改善点は幾らでも腐るほどある。
第一に会議の長さ、1人1人のしゃべりの長さを変えたい。
1分で終わる話を延々と繰り返して人の時間を奪わないでほしい。
そういうのは仕事が終わって仲間内で飲みながらでもやってくれればいい。
それをオフィシャルな会議の場で垂れ流すなと言いたい。
さらにはしゃべることが目的になっており、
最後まで聞いても何を言いたいのかがわからない。
なのに肝心の提案内容等は机の上に紙で置かれ、
特に説明もない。
わからないので聞いてみると、
例年通りです。
そりゃそうだろう。
日付だけ変えてあり、昨年のままなのだから。
しかも読んでないのがまるわかりで、
今年なくなったものがそのまま載っている。
あげくの果てにはもういない名前まで添えてある。

学校を丸ごと変えるのは不可能ではない。
1年腰を据えてやればまったく別の学校になることは可能であるとまさるは思っている。
ゴソっと人が替わり若返る。
それならばまとめ役を買って出て全部まさる側に引き入れればそんなに難しいことではない。
しかしその権力を与えられてはいない。

そもそもそんな力が自分に残っているのだろうか。
この1年でかなり老けたと思う。
顔の張りがなくなった。
4月の遠足の写真と今の顔を見比べると明らかに老けている。
それだけ今年は苦労したと実感する。
それでも授業以外はまさるがいなくても勝手に進められる程度には育ててきた。
むしろまさるがいると違和感を感じる程だ。
お楽しみ会やらもいつの間にか企画されており、
まさるは一言も指示することなくトラブルもなく終わった。
しかも全員が出し物をした。
通り一遍のつまらないものではなく、
自作脚本衣装自前準備の演劇あり、自分たちで考えたダンスあり、紙芝居あり。
中にはベーゴマの台まで持ち込んだ猛者までいる。

まさるがいなくてもこの子たちはやっていける。
逆にいる方が迷惑なのではないかとまで思った。
必要とされない淋しさも感じた。
しかしそれがまさるが望んでいる姿でもある。
最終目標は担任がいなくても生活できることがまさるのテーマだ。
4月が100%手をかけることだとすると、3月には0%になっていればいい。
つまりは育てれば育てるほどまさるの存在はいらなくなることになる。
まさにそれが完成している状態になっていた。

頑張れば頑張るほど自分の存在価値がなくなる。
そんな矛盾点を感じてしまうが、
所詮自分はある時期だけを共に過ごす一教師に過ぎない。
子どもたちが自分で自分の行動を決め、
周りとうまくやっていけるようになれればそれでいいのだ。
自分で考え、
自分で行動し、
わからない時や困った時は友達を頼る。
それでいいのだ。
教師なんて最終的にはいらない。
究極的には授業時間も自分たちで課題を見つけて取り組めばいいと思っている。
教師はそのナビゲートをしてあげるだけでいい。
そして時間と物と場所など、
条件的なものだけを用意してあげればいいと思う。
それで後はそれぞれが自由に興味のあることを学べばいい。

むしろ大人になったらそういうことができないと自分の望む人生は歩めないだろうから。

JUGEMテーマ:学問・学校


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フィクション11
保護者会も終わり、大きな行事も残すところ1つになった。
後は消化試合。
そんなことを思う。
後十数日やり過ごせばなんとかなる。
その後は忙しい日々は変わらないが大人とだけ働けるだろうし、
何日かは休みが取れるだろう。
そんな風にも思う。
充電しなければ。
そうしなければもう動き続けることはできない。
この1年間でなけなしの電力を消費してしまった。
スマホの充電に例えるならば残り数%でなんとか持ちこたえてるところだ。
もう残りかすしかない。

良点は
自分が介さなくても男女が仲良く外遊びができることだ。
この点には非常に恵まれた。
通常
この時期になれば男女は仲が悪くなり始め、
外で遊ぶことも少なくなるが、
今年は逆に外へ遊ぶ子どもがやたらに多い。
しかも手が掛からないとくれば本当に助かる。
保護者からも苦情もなく、
子どもも素直である。
問題はその他にある。

「その他」が問題である。

3月に入り、1年間のからくりが「こういうわけだったのか」
と見えてきたが、
4月からまたやっていけるのだろうか、と思うと正直まさるは鬱になる。

4月をピークになだらかな下り坂になり、
今は出勤するのがやっとになっている。
それでもなんとかなっているので、
ここ数週間は本当にただ行って帰ってくるの生活になっている。
そんなんでいいわけがないと頭ではわかっているのだが、
体が追いついていかないし、
それでもなんとかまわしていけるので現状に甘えている。
本当はもっといい教育ができる。
そんな風に思うのだがどうにも体も心も、頭も動かない。


早ければ後1年だな。
そんなことも思う。

ぬるま湯のような、
しかしねっとりとしたこの環境からいつ飛び出そうか。
そんなことをまさるは常に頭の片隅で思うようになっていた。

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フィクション10
ピッ!!
トラベリング

まさるは何度笛を吹いたかわからない
教師になり、初めは100円ショップで売っているような笛を使って吹いていたが、
音が気に入らなくて、
どうして他の先生の笛と音が違うのか気になっていた

ある時、まさるの笛と違う音がする先生の笛は審判用の笛だとわかり同じものを買ってきた
しかしうまく音が鳴らない

ふぅいぃぃいぃいぃ〜

どうしても、
ピッ!!
という鋭い高音が出ない


体育の得意な先生に聞いてみると吹き方にコツがあることがわかった

リコーダーのタンギングのように舌を使ってさらに鋭く息を吹き込まないと鋭く
ピッ!!
とはならないようなのだ
それからまさるは思うような
ピッ!!
という音を鳴らせるようになった
しかし、ピーッ!!
とか
ピッ!ピッ!ピーッ!!と、
何度かにわけて鳴らすのにはそれなりに肺活量や技術がいり、
特にずっと吹いていると、
ふぃ〜
などと情けない音が出る


しかし、
ピッ!!
と、うまく鳴らせれば鋭く音が響く

どうやらある程度うるさくても音が通るようだ

これがまたプロの審判用の笛ならば多くの観客がいたり広いグラウンド内でもよく響くらしいが値段の桁が上がる

まさるの笛は数千円する


しかし、
運動もできない自分が2時間もバスケットボールの審判を1人でしていたことに驚きを感じるし、
明らかに子供の方がバスケがうまいしよく知っているのだろうと思う

それなのに自分の笛や言うことを聞くのだから不思議だ

これが「先生」という肩書きが外れて、「まさる」であればどうだろうか
そもそもこんなにたくさんの子供の中にいることはないだろうし、
もし「先生」でなければ誰も言うことを聞かないのではないかと思う
また、もしなんの理由もなしに校内にいれば通報されるかもしれない

「先生」という理由だけで子供を指導することができる
また、学校内にいることができる


普通、小学校を卒業したら、自分が親にでもならない限り、小学校の中に入ることは2度とないのかとしれないが、
まさるは毎日小学校に通う

そして多くの子供たちとあいさつを交わし、話をしたり、授業をしたりする
1日の大半は子供と共にいる

そんな中で笛を吹いたりする

まさるは基本体育でも笛を吹かない
大声で指示も出さない

ただし、バスケットボールやサッカーなどの球技で審判をする場合には吹く

前に、教室内でも笛を吹いている先生がいて驚いた
言うことが通らないので吹くそうだ


前に、クラブ活動をやっている時に他の先生から、
「まさる先生、他のクラブ行ってみな。こんなにしっかり取り組んでないよ。この子たち偉いよ。」
と言われたことがあるが、
確かにクラブの子たちは真面目に取り組んでいる
どうやら他のクラブはまるで先生の言うことも聞かずに活動してるらしい


それこそ笛を吹きたくなるだろう


しかし今日は疲れた
とまさるは思う

さすがに2時間休みなしでバスケの審判はきつい

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フィクション9
何を思ったかまさるは電気をつけないことにした
今日は珍しく残業をした
というのも雨が降っていて帰るに帰れなくなったことと、毎日1時間ずつ残業をしたら仕事がどれだけ変わるのかを確かめたくなったからだ

基本的にまさるは帰るのが早い
他の人が
さぁこれからだ!
となる時にはもう帰るのだ

ルーチンワークは隙間時間に仕上げるし、
授業の構想も基本的には隙間である
加えて何かをさせながら思考に耽って猛スピードで鉛筆を紙の上で滑らしいわば授業の企画書を書き上げる

それは今までの努力の蓄積の結果であった

初めからこんな風にしていたわけではない
初めは睡眠時間を削り、身銭を切り、人の授業を見せてもらったり、教育サークルに通ったりしてなんとか1時間、1時間の授業をしていた

中には15分くらいで授業のネタが尽きてしまい、どうすることもできないこともあった

大昔の話である

今は5分程度で考えたことを45分に引き延ばせる程度にはできるようになった
それがいいとは全く思わないが、
まさるは仕事に飽きていた
というよりも意味が見出せなくなっていた

というのも、
こんなのでもまさるはほめられ、クラスがまとまったと言われ、子供同士や親からのトラブルも耳に入らない
当然耳に入らないだけであって、本当は多々あるのだろうとは思ってはいるが、
他のクラスを見てるとうちのクラスはやはり他よりも落ち着いているように感じるし、
他の先生たちのように連絡帳や放課後の電話で文句を言われることもない
保護者会もスムーズで拍子抜けする


誰もまさるに言ったところでどうにでもなるわけではないと諦めているのか、はたまた本当に落ち着いているのかはわからないが、
こんな程度で仕事が回っていく現実を見てると自分がなんのために何をどうしたらいいのかわからなくなる
過去にあれだけ大変で、
学校が閉まるまで学校にいて、帰ってきてからも家で仕事をし、朝も早く起きて仕事をし、学校に行っても子供が来るまで仕事をする
それでもうまくいかず、親に教室まで怒鳴り込まれたり、
校長室で怒られたり、
子供の家で文句を言われたりした日々はなんだったのかと思えてくる


朝早く来る同僚、夜遅くまで居残る同僚、休日も学校に来て仕事をする同僚
それでもうまくいっているようには見えず、
一体彼らは何を動力源として動いているのか不思議になる


今のまさるにはもうそんなことはできなかった

いや、やろうとすれば今よりも素晴らしいクラス、素晴らしい学校を作るお手伝いができるのかもしれないが、
もはやそんな情熱はなかった



ある時からひき算で仕事を考えるようになった
それまではたし算であり、
あれもこれもやってあげようこれもしよう自分ができることは全てやろうと思っていた


しかしある時からひき算に変えた
やらなくてもいいことはやらないことにしたし、
委任できることは委任する
それは子供に対しても大人に対してもだ
相手が欲しがっていることは当然与えるが、
相手が欲しいのかわからないようなことや、逆に欲しくもないものを与えることをやめた

家の中にあるいつ使うのかわからないものを捨てるように捨てていった
そしてあったら便利
というものも容赦なく捨てた

するとほとんど残らなかった
それでも良かった
逆にやることがはっきり見え、
単純化されたのだった


そこに全神経と全精力を集中させるのだからあっという間に片づく


ある時からそのようなスタイルにしてきた


1人ダウンサイジング


究極的には頭と体だけでいい
そんなことを思う



まさるは電気をつけることをやめた
そして、電気を使うこともやめた

全ての電源を切ることはできなかったので、冷蔵庫のモーター音だけは部屋に響いている

後は風の音、水の音、家がミシッと軋む音、それだけになったし、
明かりを点けなくても意外に明るいことにも気づいた

カーテンを開ければ街灯の明かりが眩しいことも気づいたし、
スマホの画面も明るすぎて目が痛くなることにも気がついた

車の音、風の音、雨の音、外を歩く人の声、たまに聞こえる救急車のサイレン

今まで気づかなかった音たちが、まるで太陽の光で昼間見えない星のように思えてきた


大きなものに引きつけられて、
小さな些細なことが見えなくなっている自分にも気がついた
自分の欲望が大きくなりすぎていたことにも気がついた
見えなかっただけで確実にそこに存在する何か

そういったかけらのようなものをこれからは大事にしたい

まさるは暗闇の中で、そう、思った

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フィクション8
まさるは布団に入っている
本当に疲れてしまったからだ

本当に疲れる
誰とも話さず自分1人で仕事ができて、
それを元に打ち合わせやら会議ができる仕事であるならばいかにいいだろうかと

まさるは多ければ日に6時間の授業をする
その準備を最近はほとんど裏紙に書くか、スマートフォンのメモ機能にちょこちょこと書いて終わらせている
流れを書き出し簡単に枝葉を付け足すのみだ
それが今のまさるの精一杯だった

以前は時間をかけて授業の構想を練っていたこともあったがうまくいかないことの方が多かった
また、先行実践を調べてやったことも多々あるがそのまま自分の血や肉になったものや、その場だけで廃れていったものもある


1日1時間や2時間程度ならみっちり準備して臨むこともできるがそれはできない相談だ

また、数時間の授業をみっちり仕込んで取り組もうとすればそれこそ寝る時間を削ることになる

若い頃はそれでも良かったが今のまさるにはそんな情熱は絞り出さない限り沸いてこなくなってきて、今となっては絞っても出てこない


一応授業の原理原則は押さえているつもりなのでそれなりの授業にはなるし、そもそもまさるは教えることが少ない

めあて、手立てを与えるが後は子供たちに気づかせる
そのための資料や考え方調べ方は教えるが、知識自体を教えることは少ない

今日もヘトヘトだったので実はまさるは今日もほとんど教えていない
指示だけ与えて後は子供たちでどうぞ

そんな授業だ

ともかく疲れているのでまさるは布団の中で目を閉じた

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フィクション7

東京都心の道路は欠陥道路だと思う。
右から左から車線変更が変わるし3車線が急に2車線になる。
そのうえ緑色のナンバーの小型乗用車がこれでもかという位に犇めいている。
左側の車線は大体路駐していて使えないし、
さらにその外側にハザードを出して緑色ナンバーがよく停まるものだから困る。
これが漫画で見た六本木通りの二重駐車か、
とも思いながら。

これで今夜の六本木ヒルズは2回目。
別に来るつもりはなかったのだが車線通りに進んでいくとここにたどり着いてしまう。
ナビは右へ行けというのだがこれでは行くに行けない。
ナビを広域にすると工事の表示が無数に現れる。
246を西に進んで渋谷へ入り、そこから六本木通りに入ったのが間違いだった。
そこから戻るにも何故か広尾や南青山を通り、
青山霊園から四谷へ、そしてまた歌舞伎町。

どこをどう走ったのかわからないがどこに行っても緑ナンバーと道路工事。
そして明るく照らされた街並みと普段何を食べてるのかわからない痩せていてスマートな人たち。
帰りなのか遊びに行くのかどこへ行くのか。


こりゃ都心部にいたら自家用車はいらない。
吐いて捨てるほどの緑ナンバーがいるし、
15分も走ればどこへでも行ける。
面白いもので山手線の外側と内側ではまるで国が違うように見える。

さらに渋谷やら新宿やら池袋やらのターミナルから延びる沿線沿いもまるで身分が違うかのごとく住んでいる人たちの階層も違ってくる。

ナンバーもそうだ。
緑ナンバーでも、足立、練馬、品川、世田谷、杉並、多摩では車の動きが違うように感じる。


東京は住む場所によって階層が違うことにまさるは少し気がついていたが確信に変わる。
多摩の中でも市によって階層は違うが、
23区からすれば多摩は田舎であり、
さらに23区内でも確実に格差がある。
新宿、中野を過ぎればそれ以外だと青梅街道を走りながら感じる。

多摩川を超えたら神奈川で、さらに多摩丘陵の向こう側はもはや別の国。

車で2時間もあれば一回りできる距離でこれほどまでに違ってくる。
山手線の内側はどこまで行ってもコンクリートの物体だらけで、
外側はターミナルの周りはそうだが少し離れると低層のビルが多く、
多摩に入ればビルも少なくなるし樹木も多い。

多摩川を越えれば緑の方が多い。


右折レーンが常に首都高の真下の六本木通りで前も後ろも右も左も緑ナンバーに囲まれながら、
一体いつになったら帰れるだろうかと六本木ヒルズを見上げる。
テレビ朝日がある。

オフィスビルみたいな高層ビルは明々と蛍光灯だかLEDだか知らないが白い光が灯っており、
この人たちはこの緑ナンバーを捕まえては家へいつ帰るのだろうかと思う。

ビルの中の平民。
ビルの外の平民。
そして今頃はくつろいでいるであろう雇い主たち。

オフィスとは別の住居階では恐らく富豪と呼ばれる人たちがぐっすりと寝ているか何かしているのだろう。

深夜0時ごろの中央線、青梅線は朝の電車と同じか少し少ない程度には人が乗っている。

この人たちは朝になってまた同じ電車で仕事へ向かうのだろうか。
緑ナンバーの車を運転している人や、道路工事をしている人はいつ家路につくのだろうか。
また、この人たちの行きつく場所はどこなのだろうか。
そして、明るい街を歩く若者たちはいずれどこかに去ってしまい、
また新たな若者が明るい街を歩くのだろうか。

歳月が経ってもいつも街中は若い人が歩いている。
ということはある意味新陳代謝が起こっていて、
元若者はどこへ行ってしまうのだろうか。
地元に帰るのか、それとも郊外にうつるのか。

こうして中年に足を踏み入れたまさるはその中を安く手に入れた車で走り回っているのだが。


この人たちもほとんどが小学校中学校を卒業したに違いない。
自分の仕事を考えると、
自分の仕事はただ単に労働力を提供しているお手伝いをしているに過ぎないのではないかと虚しくなる。
夢を語り、道徳的なことを話し、勉強を教え・・・。

その結果がこうだというのか。

学歴社会が崩壊して久しいと言われるが、
結局MARCHレベルが最低限で、
それ以上の大学卒の肩書がないと厳しいと思う。
もし上を目指すならばである。
しかし、そうなっても深夜まで働き詰めで何が幸せなのかと考えるし、
ほとんどの人がそんな学歴もなく、
毎日日々仕事をする。
大抵、高学歴でその中でも能力があり自分の動かし方を知っておりなおかつ時代を読めるものが成功者になるが、
その成功者も長く続くのはほとんどいない。

ましてまさるのように誰も知らないような大学を出て「こんなになりました」という話は聞いたことがないわけで。

別に「こんなになりました」という風になりたいわけではないが、
結局何が正解で何が幸せなのかわからなくなる。

まさるはラッキーだとは思う。
誰も知らないような大学を出て教師になったことで少なくとも深夜まで働くこともないし、
土日の出勤もあることにはあるが毎週とかではない。

自分にはできない。
車内から六本木ヒルズを眺めたり、五差路だか六差路だかわかんないような交差点で停車した時に窓の外に見える仕事帰りの人とか、
緑ナンバーを運転している人や赤い棒を振っている人。

むしろ「東京」では生きていけない。
そんなことを感じる。

「東京」はあくまで「東京」であって、
「東京」でしかない。

憧れて東京に出てこないで地元にいた方が幸せなのではないか。
そんなことも思う。


まさるは基本山が好きなので山へドライブへ行くことが多い。
山の集落にはおそらくここで生まれてここで育ち、ここで死んでいくのだろうと思われるおばあちゃんやおじいちゃんを見かける。
都心の、車の窓越しに見える人たちからそういう山に住んでいる人たちまで見てみると何が正解なのかわからなくなる。


その、「東京」が目の前にある。
どこからでも、ビルの陰に隠れなければ東京タワーが見える。

そんな中をぐるぐる走って、
帰路についたわけだが、
人が集まって少しずつ少しずつ「東京」が拡大されていったわけだから道路がこうなっているのも仕方ないのだろうと考える。
また春になれば「東京」を目指して出てくる人が増える。
まさるはこの1年も「東京」で生き延びることができた。
そう思う。

「東京」とはどこを指すのだろうか。

都心とはどこなのか。
中心部はどこなのか。
他の都市と違って「ここが中心ですよ」という場所がない。
神奈川県横浜市、千葉県千葉市、埼玉県さいたま市、のようなものがない。
都庁があるのは新宿だから新宿が中心地と言えばそうではなさそうだし。

「東京」というのは人々が作り出した幻想に過ぎない。
そんなこともまさるは思った。


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