人生スローカーブ(*´∀`*)ノ

水のように生きていたいものです。
7月6日のこと。
6日に面接に行きました。
FMヨコハマの番組を作っている制作会社です。

「これで最後だと決め付けないほうがいい」
「人生決め付けると面白くない」

社長に言われたことが頭に残りました。


確かに。
私は今まで、自分の人生を決め付けていたような気がします。
自分の理想を掲げて、
「こうなりたい」
「ああなりたい」
「こうしなければならない」
「ああしなければならない」
という風にです。


だから焦りました。
自分の理想を振りかざしては、
思うようにいかなければ凹む。
あるいは突き進む。

今やらなければ後がない。
そのような迷いでいっぱいでした。
だからなのでしょう。
復職のための期間を使い、無理にでも自分の夢をあきらめないようにと就活をしてみたりしたのは。
本来ならばゆっくりと体や心を休め、
ゆっくりと病気を治す期間のはずです。
それが、
ちょっとでも調子がよくなると自分の野望のままに動き回る。

ただ、動き回ったおかげで得るものもありました。
6日の面接でのお話ではたくさんのものを得ることができたと思います。

「外に出てたくさんの人と会うこと」
「世の中のことを知ること」
「そして、焦らないこと」
「自分を決め付けてはいけないこと」


私は内省することが多いです。
その割には外のことや他の人間のことを意外とよく知りません。
いや、知ろうともしなかったというほうが正しいのでしょう。
外の自分の世界とかかわるのが怖いのです。

6日の面接では上記のようなことを考えました。


「あきらめなきゃいけない夢のほうが多いのにね」
とは作家の村山由佳の言葉です。
確かにそうだともいえます。

「大人になるってことは、自分のやりたいことをできる方法を知っていること」
これも村山氏の言葉です。

さて、今自分が一番にやらなきゃいけないことはなんなのでしょうか??
昨日、今日と、一生懸命に考えていました。

そうなると、
夢を追う前に、
まずはこの気分障害、言うなれば抑うつ状態の改善ではないかと思いました。

抑うつ状態。
一日中ずっとうつうつしているわけではありません。
人と会うときはそんなにうつうつしてる状態ではないと思います。
しかし、突然に落ち込んだり、
元気がなかったり、
怖くなったり、
死にたくなったりということがあります。

薬を服用していないと苦しくなります。
指先は震え、体も震え、いてもたってもいられなくなります。
仕事(学校)のことを考えると怖くてしょうがなくなります。

決めつけるわけではありませんが、
どうすればいいのか考えてみました。

1、仕事を完全にやめ、治療に専念すること
2、今年度いっぱいの休養期間をめいっぱい使ってゆっくり休み、来年度から騙し騙しやること
3、仕事をやめ、夢にまい進する行動を起こすこと。


6日までは3の状態を取っていました。
このままではもうだめだ、人生に意味がないと思っていましたから。
しかしそれは違うんじゃないかと思い始めました。


そう考えると、
自分がまずすることは病気をしっかりと治すことではないかと思いました。
なので1か2なのだと思います。

「夢を追い続けていれば、その夢は半分以上かなったことも同然」
これも村山氏の小説の後書きに出てくる言葉ですが、
そうだなぁとも思います。


面接で、「どうしてラジオなの?」と言われた時、
即答することができませんでした。

自分がラジオにこだわる理由。
それはただの憧れなんじゃないのか?
夢とは言ってるけれど、
夢のようなものなのじゃないのかと思うようにもなりました。

ラジオをやるのはネットを使って個人でもできます。
でも未だにやってはいなかったりする。
その現場にいることの憧れだけなんじゃないのかなぁとも思う。


「自分の人生って何だろう」って考え出すと、つらい。

「何も考えずに今目の前にある仕事だけをただ一生懸命にやればうつ病にはならない」って、「脳は何かとうそをつく」という本に書いてありました。
そのとおりだなぁとも思いました。

自分はあまりにも自分の人生に期待しすぎなのではないかとも思います。
そしてあまりにも自分の人生以外の部分、世界のこと、他人のこと、そんなことに興味を持っていない。


今の自分にできることは?
やはりこの抑うつ状態を改善していくことではないのかと思います。

焦らないでゆっくりと。
治してから後のことは考えればいい。

6日の面接を受けて、
そう感じることがありました。

放送ミキサー comments(0)
狂いだしたのは…
14の頃ですね。
それまでは普通のなんにも考えていない中学生でした。

ある日、深夜に録画しておいたCDTVを見てたんです。
20位台だったと思います。

ある映像と共に自分にとって強烈な印象を残す音楽が流れました。
しかしそれは他の曲の半分以下の時間しか流れませんでした。
他の曲が10秒くらいだったとしたら、
この曲は5秒以下だったと思います。


今だったら曲名かアーティストがわかればネットで検索できますが、
当時は12年以上も前で、
インターネットなんてものはありませんでした。

当然探すためには音楽雑誌、テレビ欄、ラジオ欄でした。

片っ端から音楽雑誌を探しました。
しかしこれがなかなか載ってない。
普通、チャートで20位前後だったならばある程度有名なはずで、
載っててもおかしいのに載っていない…。
おかしい…。


そして、やっとのことで、
地元ではほとんどおいてる書店がない、
オリコンウイークザ1番という、
オリコンのチャートが載っている雑誌を見つけます。

そこには売り上げ枚数、順位、アーティスト名、曲名が載っていました。


少しして、
そのアーティストのアルバムを見つけました。
当時お金がなかった僕でしたが、
有り金をはたいて買いました。
そして何度も何度も繰り返し聞きます。
その、テレビ番組で知った曲以外も素晴らしくて、
1週間ほど1曲をリピートして聴いては、
次の曲を1週間またリピートして聴くといった状況になりました。


ある日、
新聞のラジオ欄にこのアーティストの名前が載っていました。
土曜日の23時の文化放送でした。

ゲストとして来ていたのか、
それとも曲だけがかかったのかは忘れました。

しかし、
その番組でどういうジャンルのアーティストで、
どうして普通の音楽雑誌には載らない理由がつかめました。



それから、
その番組ではそのアーティストの曲が毎週かかるのに気づき、
毎週雑音まじり、韓国語放送が混線しまくりのの文化放送を聴くようになります。

23時台の放送を聞き終わり、
流れで0時台の放送まで聴くようになります。
その後、他の局、例えば1341ラジオ大阪、1242北海道文化放送、
954TBSラジオ等々…。

そこで一気にあるジャンルの方向へと目覚めていくわけです。


それと並行して、
お年玉をはたいて30万円位のパソコンを手に入れます。
理由は音楽を作るためです。


TWO-MIXと出会って2〜3年が経っていたと思います。


しかしパソコンを手に入れただけでは曲は作れませんでした。
曲を作るためのソフトを探して県内中、
そしてわざわざ上京して秋葉原をめぐったりします。

パソコン作曲の入門編と思われる本と、作曲ソフトを手に入れます。

そこから曲作りがスタートしました。
曲を作っては当時ネット回線を持っていた友人を介して音楽をネット上にアップしました。


音響エンジニアになりたい。
そのように思うようになっていました。
将来はTWO-MIXのような音楽を作りたい。
自分で詩を書いて、
自分で曲を作り、
女性ボーカル、できれば声優さんに歌って欲しいなぁって思うようになったのです。

それはTWO-MIXのボーカルが高山みなみ(コナンの声の人)であったり、
声優ラジオを聴きまくってたこともあり、
声優さんにかなり興味を持ってたからでした。

ちなみにアニメに関してはあんまり興味はありませんでした。



高校を卒業して音響エンジニア養成のための専門学校に行けば良かったのですが、
親と衝突します。
地元の進学校に通っていた私は、
地元の国立大ならば勉強しなくても入れるくらいの学力がありました。
当然親は大学を進めました。
いや、専門に行くことを断固反対しました。
専門に行くならこれ以上の学費、生活費は出さないと言いました。

今になれば、
自分でなんとかしようって思うのですが、
高校の自分はなんにもできませんでした。
結局、何ヶ月もケンカした後に、
私が折れて、地元の国立大に入ります。

あきらめの境地でした。
そういうわけか、
大学に行く理由、意味がわからなくなり、
入学したものの、
大学には行けませんでした。

自分はこのまま地元に就職して、
そのまま一生を終えるのだろう。
そういう風に思ってました。

そんな時、
放送研究会を見つけます。
ラジオを作っていて、
実際に地元のコミュニティFMで作った番組を流していました。
即入部しました。

そこから徹夜で番組作りを始めます。
地元のラジオ局にもADとして潜り込みます。


しかし、夏休みに入った頃でした。
本当にこのままでいいのか?
そんな思いがありました。
俺は将来ラジオをやりたい。
そんな風に思うようになっていました。

ラジオを作る中で1番楽しかったのがミキサーでした。
音声を操ったり、
音楽を出したり、
音楽効果を付けたり、
とっても楽しいものでした。


このままこの大学にいていいのか?
そんな思いがいっぱいになっていきます。
ますます大学に行かなくなります。



夏休み。
親に相談します。
大学をやめたい、と。
親は当然大反対です。
せっかく地元では名の知れた、しかも1番の学部に入ったのです。

1ヶ月以上かかりました。

親が出した条件は次のようなものでした。
国公立大学に入学すること。


私の行きたいのは専門学校です。
大学ではありません。
しかし親は大学でなければだめだと言います。

私は地元にいてはいけないと考えていました。
地元ではチャンスはまるでありません。
しかも、私がやりたいのはラジオと言っても企画の方ではなく、
エンジニアです。

なので東京に出たいと思いました。

大学を休学し、
受験勉強に入ります。
しかし、身が入りませんでした。
私の行きたいのは専門学校。
だけど受験先は大学。

予備校に入れる金があるなら専門学校に入れてくれ。
そういう風に考えることも多かったです。
でも、東京に出たかったので受験しました。
首都圏にある大学を前期後期日程で1大学。
かろうじて首都圏と呼ばれる大学を1校。

本命の大学には落ち、
滑り止めの大学には合格しました。

地元大学にはまだ籍はあります。

親は泣いて、地元大学に留まるように願いました。
しかし私は戻る気はさらさらありませんでした。

戻ったとしても、またあの生活が続くだけだ。
そう思ったからです。

しかし、今考えれば、
大学の放送部でずっとラジオを続けていけば、
就職の際に放送局を受けまくって、
どこかにひっかかっていたかもしれないなぁなんて思います。

ただ、あの頃の自分は変に真面目で、
大学の講義に出なければならないと本気で考えてうつ状態でしたので、
たぶんだめだったと思います。


新しい大学に入り、新しい自分になったつもりで今までとはまるで違うことを始めました。
似合わないテニス部に入ってみたり、
車を買ってみたり、
映画を見に行ったり、
そんなことばかりをするようになりました。

今考えると、
誰も知らない土地で、
今までのことを忘れようと思ってたのかもしれません。

楽しかったです。
純粋に。
あの4年間で人間関係を学び、
遊ぶことも覚えました。


部活を引退したあたりから雲行きが怪しくなります。
就職です。


私の在籍してた学部はほとんどの人が教師に進みました。

気持ちが揺れました。
「俺はなんになりたかったんだっけ??」
「なんのためにこっちにきたんだっけ??」


教師になるのはさほど難しそうではありませんでした。
臨時の口はたくさんありそうだし、
関東ならば倍率も低いので入れそうでした。

流されていました。
先生になる学部に入ったのだから、
先生になるしかないんだ。
そんな風に思っていました。

しかし、それとは反対に、またラジオを聴き始めていました。
元々のきっかけは音楽を作ることでしたが、
作ることに限界を感じて、
面白かったラジオを聴くようになったのです。

しかし、昔聴いていた文化放送等のAMは入りませんでした。
でもなぜかFMは電波が入ったのでFMを聴くようになっていきました。

そしてメールで鬼のように投稿を始めたり、
実際に公開放送を見に行くようになりました。

公開放送を見たり、
メールを送って名前を覚えてもらうことで、
なんとか潜り込もうと考えたからです。

週3回くらいのペースで通うこともありました。
車で途中まで行き、電車をのりついで片道2時間半でした。


そのおかげか、
実際に番組に出たり、
電話で出演できたり、
ナビゲーターから直にサイン入りでプレゼントをもらったりしました。


必死でした。
スタッフに「どうしたらラジオのスタッフになれるのか?」聞いたこともありました。

しかし無情にもどこにも入ることができません。

留年して、
時間を作ってアルバイトでもなんでもいいからやろうと思いましたが、
どういうわけだか卒業が確定してしまい、
結局実家に戻ることになりました。


この時、
自分の中には、
地元で金を貯めて、
東京に出てきてラジオの仕事をしようと心に決めてました。


実家に戻って、1週間も経ったでしょうか…。
母親から家にばかりいても仕方がないからハローワークにでも行きなさいと急かされるようになったので、
行くことにしました。

自分としては、市内に学生時代にやっていたゲームセンターの系列店があったので、
そこでアルバイトをしようと考えていたのですが、
母親があまりにもうるさいのでしぶしぶハローワークに向かいます。

一応教育系の大学を出ているので、
なんとなく教育系の求人を見ていると、
塾講師のクチが見つかりました。

昼間はゲーセン、午後は塾講師の2本立てでカネを貯めようと思いつきます。


それからも家でなんとなくネットでハローワークの求人を見ていました。
もっといいお金の仕事はないか探していました。

そうすると、市内の小学校の非常勤講師の求人がありました。
時給は2000円。
拘束時間は6時間で、1日1万2000円でした。
月にすると24万稼げます。

これだ!と思い、ハローワークに行き、
面接の段取りをつけ、面接に行きました。

素直に面接を受け、見事合格。
しかも勤務先は歩いて10分足らずの母校でした。


そこですっかり教師としての自分が目覚めます。
教師としてやっているうちにすっかり教師に染まっていきます。

いつの間にやら教員採用試験の勉強をしたり、
教員養成セミナーという雑誌を毎月買うようになっていきます。

同僚の先生方にも、
早く家に帰って勉強しろと言われてたので、
そのせいもあるのかもしれません。

その一方で、
やはりラジオが好きだなぁって気持ちも残っていて、
地元じゃ聴けないFMを、
わざわざスカパー契約して聴いてました。
メールも投稿し、
電話で出演などもしていました。

東京に出て行きたかったので、
東京の教員採用試験を受けます。


そして1年経ち、
非常勤の期限が切れ、そのまま退職。
さてさて、どうやって東京に出ようかと考えてた所に、
今の所属している区の教育委員会から面接の電話がかかってきます。

見事に採用。
それで東京に出てくるわけです。


出てくる前は、
教師をしながらコミュニティFMでボランティアをしよう。
そんなふうに思っていました。
けれども仕事が始まってみると、
精神的に負担がかかりすぎてそれどころではありません。
授業ができない、子どもとのコミュニケーション、
保護者との関係などに振り回されながら、
次第にうつ状態になっていきます。
いくら必死に教材研究をしても、
いくら必死に頑張ってもうまくいかなくてしんどい日々が続きます。
眠れなくなり、土日も出勤して頑張りましたが、
なんともなりません。
しかし、
1年は頑張ろう、
そういう風に決めて、
なんとか頑張りました。

ただ、
いくら頑張っても仕事をこなしても、
時間はない、毎日極度の緊張、そして不安。
しかも都内で住むのはカネがやたらとかかり、
全然たまることのない貯蓄。

そのうちに、どうして俺はこんなに頑張っているんだろうという気持ちになっていきました。

なんのために東京に出てきて、
なんのためにこんなに苦しんでいるのだろう??
なんのために生きてるのか?
自分は何がやりたかったのか??

そんなことを考えながら仕事をやめたくてやめたくて仕方がなくなります。
頭の中にクエスチョンがたくさん浮かび、
やりきれない気持ちとふさぎ込む気持ち、
そして次第に元気が失われていきました。

でもやめたら食べていくことができない。
そのことと、
せっかくなったのにやめたら申し訳が立たない。
そんな気持ちで揺れました。

しかし限界でした。
学校に行こうとすると体が震え、
学校では極度の不安と緊張で何をやっているのだかわからなくなり、
泣きたくなり、泣いて、
もうダメだと思い、
とりあえず病院に予約の電話を入れました。

診断結果は「うつ病」。
早く休職しましょうとのこと。

ただ、すぐに休職するのはなんか違うと思ったため、
それから3日位は仕事に行きましたが、
その後は眠れない、行きたくない、震えが止まらない等の症状がすごくて休むことにしました。



そして今に至るような形です。

これから自分はどうしていけばいいのか?
どうしたいのかもよくわからない。

教師を続けなければという気持ちと、
即刻辞めたいという気持ちがせめぎ合ってます。



ただ、辞めるにしても、次どうすればいいのかよくわからなかったりします。


それで、数日前に受けたJ-WAVEのADの面接試験。
実はずっと学生時代に聴いていたのも、
番組公開に行っていたのも、
地元でスカパー契約して聴いてたのもJ-WAVEだったので、
求人見つけたときは即応募しました。
J-WAVEには入りたい。
自分にはとても憧れの放送局だったので社屋に入れただけでも幸せでした。
ここが受かればおそらくは教師は終了になると思います。
ただいま連絡待ちですが、
今日連絡するといってたのですが、
この時間にもこないのでたぶんだめだったことでしょう…。


他にも探せばニッポン放送などのアルバイトはあることはあるのです。
ただ、そこには踏み出せずにいます。

1年間の契約社員、しかも更新なし。
そういうのもありますが、
自分でいまいち本当に何がしたいのかがわからない。
ぶれてしまっているので動きがとれなくなっちゃってるのだと思います。

音楽を作りたい→音響エンジニアになりたい→放送ミキサーになりたい→ラジオの制作に関わりたい。

時系列を追っていけばこのようになる。

ただ、今の時点でどれがやりたいのか、
しかし、教師という仕事をしてれば結局この状況は変わらないわけで、
心理的不安は大きいのです。

今自分がうつなのかどうかもわからない。

病院の通院間隔は長くなり、
服用する薬も1種類、しかも1日1回になりましたが、
自分的には良くなってるとは思えないのです。


あいかわらず毎日が不安ですし震えもあったりなんとなく怖かったり、
何をして良いのかわからない。



やりたいことの変遷は、
結局やってみようと思ったけれどもできないからやれそうなことでなんとかしたいの現れのような気がいたします。

音楽を作ったけれどもできないからミキサー、ミキサーもできないから放送ミキサー、放送ミキサーもできそうにないからラジオ制作と…。

じゃあ、今自分が掛け値無しでやりたいのはなんなのかって考えると、
なんなのかよくわからないが、自分の中でやれそうなのは放送ミキサーだなぁって思います。



TWO-MIXと出会い、
曲作りをするようになって、
1番面白かったのはミキシングでした。
LRの配分や、どんなタイミングで音を出すのか、
どんな音を作るのか。
そういうのが楽しかった。

そして放送部ではラジオを作ったときも、
ミキサーの前に座ってミキシングするのが楽しかった。


ラジオを聴いてて、
ジングルが好きだった。

実際にジングルを作るのが好きだった。

こういうのもあって、
やっぱり放送ミキサーになりたいなぁって思います。

そうすると、
ラジオに限らず、ミキサーってのはテレビにもあるし、
ライブでもあるし、色々と選択肢が広まります。

ただ、やはり自分がやりたいのはラジオのミキサーかなぁって思います。
それも、J-WAVE。
AMなら文化放送。

ただ、どうやったら今からそれになれるのか?
年齢的な問題もあるし、
技術もない。

少しでも近づけるように努力してもなれるかどうかさえもわからない。

今の仕事を捨ててもいいのかどうなのか?
ただ、今の仕事はやればやるほど神経をすり減らし、
不安が高まり、やることができなくなる…。


結局どうしたらいいのかわからないんですよね…。

正直14の時にあれと出会わなければ、
今の自分はないわけで、
もっと楽に暮らすことができていたのかもしれません…。

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